ロダン講⑥

 15日、68回目の終戦記念日を迎えた。仕事柄、戦時中のお話を拝聴させて頂く機会の多い僕ではあるが、戦争の話が出るといつも思い出すあきずの利用者さんがいらっしゃる。

僕はその利用者さんのことを『隊長』と呼んでいた。明治生まれの隊長は、10代の頃から3回戦争に出兵し、生還された経験をもつ。

 

僕の記憶が確かなら、最後の出征時、『大尉』の軍階で現下に数百名の部下を擁していたとのことだった。そんな経緯で僕は勝手に『隊長』と呼んでいたのだ。

 

物静かで穏やかなその人柄からは、想像しがたい過酷な経験をされてきた方で、あきずを利用されたのは、ご本人が99歳の時。そして、101歳の最期の時までお付き合いさせて頂いた。

 

 

いろいろと思い出す。

 

利用当初の頃、車椅子に座って退屈そうにしていた隊長に「将棋指しませんか?」と将棋盤を持っていったら、しばらく推敲した後、「昭和生まれとは、指せん。」と静かに拒否ったあの眼差し。

 

送迎の車中で戦時中の話が大変興味深く、がんがん質問責めにしたら、到着する頃にはいつも疲れて車中で熟睡されていた横顔。

 

縁側で日向ぼっこしている丸い後姿。

 

その存在に、自分たちを包み込むような包容力があり、自然と我々スタッフ一同は隊長の存在そのものに、居心地の良さを覚え、甘えていたようにも感じる。

 

 

そんな隊長に、僕個人の興味として一度聞いてみたい事があった。今考えてみると、隊長に対する甘えがそう意図させた部分も大きいと感じる。そして、聞こうとしたが、その質問を呑みこんだことを覚えている。

 

戦争当時の本当の心境、本心について、である。

 

世は国家総動員で戦争に臨む体制を提とするなかでの出征。『御国のために』投げうたれる命の数々を眼前にし、その当時のイデオロギーを全幅の得心でもって、内面化できたのか?特に隊長は最初の出征の時に実の弟さんと共に出征し、弟さんはその時、戦死されていたのだ。

 

あまりにデリケートな問題。質問しようとした自分にも驚いたが、幸いにも躊躇し呑みこんだ。

 

 

その後、隊長との会話も回を重ね、戦後の事も多くを語ってくださるようになった。

 

あの質問に対する返答は、隊長の終戦後の生きざまで明確に示していたことを今更ながら、理解できるのである。

 

三度の戦争を経て(正確には戦時中からだったと思われる)、隊長は禅宗の寺で得度する。仏門での修養の後は終戦間もない大阪市役所に勤務。行政職になるので、転属が慣例であるが、自ら福祉畑一筋を貫く。西成のあいりん地区に対する福祉行政の先鞭をとったのが隊長であり、その後も福祉行政に力を入れ、最終職暦としては名誉職(無給)での児童養護施設の施設長を全うされたのだ。

 

なんと潔い生き方なんだろうか。世のため、人の為に生きた隊長の人生には、明確に戦争の体験で実際に感じた、実際の心境、本心が込められている、と僕は感じる。

 

いつも戦争の話の最期に隊長は誰に言うでもなく、「戦争なんて、するもんやないですよ。」と言っていた。隊長が体験し、教えてくれたことを誰かに伝えていくことが、生きている僕の役割と感じ、ブログを書きました。ご清聴、ありがとうございました。

 

隊長、今年も伝えましたよぉ~。

 

 

 

 

 

 

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